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執筆者の写真risa yukimura

愛着が満たされないまま大人になると・・・?

更新日:3月6日

こんにちは。

カウンセラーの幸村です。


私は、多くのモラハラ被害者の方は、

非常にスキルが高いと思っています。

加害者の無茶ぶりな要求に片っ端から応えて

その環境で生き抜いているからです。


自分の好きな事、やりたい事を考えず、

ひたすら対処に徹している。

私もそうでした。


これは、モラハラ環境に適応するために

そうなる人もいますが、

元々そういう事に慣れているため

あまり抵抗なく適応できてしまう人もいます。


子供の頃から、自分が「欲しい」「必要だ」

という気持ちに蓋をしてきた人です。

もっと言うと、自分のそういう気持ちに

気付いてすらいないことが多いです。


これは、赤ちゃんの頃、お母さんを呼んでも、

来てもらえなかったり、

何らかの理由でお母さんと離れている期間が長かったり、

お母さんが愛着を十分与えなかったり、

という育ちをした人に起こります。


また、母親側が普通に世話をしているつもりでも、

愛情を受けずに育った母親の場合、

自分が得られなかったものを

無意識に赤ちゃんに求めてしまうことがあり、

前のブログでもお話した通り、

その場合、

赤ちゃんは母親を喜ばせることを優先してしまい、

欲しい愛着が得られない

となることもあります。


いくら欲しても満たされないことが続くと、

子供はその環境に適応するために、

欲しいという感覚を鈍らせ、やがて諦めてしまいます。


その過程で、


自分には与えられるだけの価値がない

欲しがると、拒絶され、見捨てられてしまう


という怖れの感覚が育っていきます。


子供のうちは、その環境でしか生きていけないので、

自分がつらい思いをせずに

生き抜くための術としてそうしているのですが、

大人になると、それが生きづらさにつながります。


欲しがることを恥と感じたり、

欲しいものを得ると、失望しそうな気がしてしまったり。

誰・何を欲しい、必要、と表現せずに

それが手に入ることを望んでしまうから、

手に入らずジレンマに陥ったり。


何かを欲しがることに強い抵抗を感じてしまうんですね。


その結果、


自分は何かを必要としていない、

必要とされて、与える側だ


と思いたがります。


この手の人たちは、

自分の「欲しい」や「必要」に鈍感な分、

他人のそれに敏感になります。

他人が満たされることに同調して、

自分も満たされた感を味わいます。


つまり、自分が満たされるために、

他人に何かをしてあげる。


だから、モラハラDVの無茶ぶりとも相性が良く、

関係が続いてしまうのです。


よくモラハラ被害を受けた人が、

自分ではどうしたいか、が分からなかったり、

自分が〇〇したら誰が喜ぶ・怒る、

といった基準でしか

考えられなくなることがあります。


もちろんモラハラ生活の影響もありますが、

モラハラから離れて一定期間が経過しても

自分が本当はどうしたいのか、

それを当然の主張として表現できない

ということが続いたら、

幼少期の体験が生きづらさにつながっている

可能性が高いかもしれません。


困っている人を助けること自体は良いことなので、

誰も違和感を持たないでしょう。


でも、依然として自分のニーズは満たされないから、

そのうち苦しくなったりします。


こういった生きづらさを解消していくためには、

いつも与え続けていることで、

実は自分を見捨てていることに気付き、

自分の欲しいものを表現することが

できるようになる必要があります。


カウンセリングでは、こうした生きづらさの解消のため、

クライアント様の思いや、ご家族の構成、育ちについて

お話をうかがった上で、

認知の歪みや、ニーズ、ウォンツにアプローチしていきます。


何か心に引っ掛かりがある方、

ささいなことでも大丈夫なので、

ご相談くださいね。


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